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Live Landでは今回、元“the cabs”(ザ・キャブス)のギタリストで、現在“österreich”(オストライヒ)名義でソロ活動を行っている高橋國光に独占インタビューを行うことができた。the cabsの解散からおよそ3年、2015年は高橋がösterreichとして表舞台へ戻ってきた特別な年と言えるのではないだろうか。

インタビューに際して、the cabsの解散について原因を作ってしまった高橋自身の「僕のことを快く思ってない方もいると思います。ご迷惑をおかけしました。」という言葉からこのインタビューが始まったことを書き記したいと思う。

今回はthe cabs時代を含めて、österreichの活動や、高橋國光の考えや彼の生み出す音楽について自身が語るロングインタビューをお届けする。

アニメ「東京喰種」とのタイアップを振り返って

まずはösterreichとして活動をされるきっかけとなった、アニメ「東京喰種」とのタイアップ曲『無能』の制作についてお聞かせ下さい。どのようないきさつで決まったのでしょうか。

高橋:(原作マンガ作者の石田)スイさんから話が来た形ですね。最初は残響の社長(河野章宏氏、ロックバンドtéのギタリスト)の方から「こういう話があるんだけど…」とのことで僕に伝わりました。どうも時間が差し迫ってたみたいで、あまり長々と考えてる時間もなく、折角言って頂けたのなら…と引き受けました。

石田スイさんはご本人のTwitterを拝見すると音楽好きな印象があります。

高橋:そうみたいですね。後日ですが、どんな音楽が好きなんですか、なんて話もしました。すごく(音楽に対して)理解のある方だなと思いました。

タイアップに際しての話し合いで「こういう世界観で」なんて曲への要望とかはあったんですか。

高橋:最初の段階では希望とかは全くなかったですね。とりあえず時間も無いから、条件は「新曲で、新しく書いて下さい」だけで。僕は元々ある曲じゃダメかな、とか思いつつ(笑)1・2週間くらいでデモを作って、それからスイさんの側から提案をもらってブラッシュアップする感じになりました。

時間の制約がかなりあったんですね。

高橋:今となっては「楽しかったな」とだけ思うんですけど、当時はみんな「時間無い無い」って切羽詰まってたんじゃないかなぁ。

―SoundCloudに上がってる『贅沢な骨』を消したのは…

高橋:あれは元々「東京喰種」用の曲ではなくて、個人的に作ってたものをスイさんがたまたま聴いて「これ使いたいんですけど」って流れで決まったんです。

『無能』と『贅沢な骨』では過程が全然違うんですね。

原作マンガの「東京喰種」はタイアップの制作過程で読まれたんですか。

高橋:昔はマンガも結構読んでたんですけど、最近は読んでなくて。お話を貰うまで「東京喰種」をちゃんと読んだことはなかったです。曲作る段階になって読み込もうとも思ったんですけど、読んで(作品に曲が)引っ張られるのもなんか嫌で。結局読んだのは曲を作り終えてからですね。

なるほど。「東京喰種」を読んでからどんな印象がありましたか。

高橋:若い世代が読むにしては暗いな…と(笑)すごいネガティブな表現が散りばめられてて、だからこう…太宰みたいに若い世代が必ずかかる麻疹のような…

誰しもが通る、と言いましょうか。

高橋:そういう要素があるから、だから今の10代20代前半の子たちが読むなら、これは好きになるよな、って。自分もこういう作品に関われるのはすごく光栄なことだなと思いました。書いているスイさん本人がアーティストの側面があるから、そういう人と仕事ができたのはすごく楽しかったなと、良かったなと、終わった後に思いました。

『無能』のPVについてなんですが、the cabsの時と同じようにディレクターを務めていらっしゃいますね。

高橋:最初は『二月の兵隊』という曲でPVを作ることになったんですが、「やってみたら」と言われたことがきっかけで、結局the cabsでは全部作ることになりました。今回は体力的にキツいんでギリギリまで作りたくなかったんですけど、でも、自分で作った方が早いんじゃないかというのと、他人に頼んで違和感を覚えるよりも、自分で作って後悔する方がいいかなって思ったんですよね。

ディレクターというのはどの程度高橋さんが手掛けるんですか。

高橋:全部です。撮影・編集、どこでカットしてとか、切り貼りもです。

雪のところの撮影もですか。

高橋:行きましたね。というより連れていかれたんですよ。レコーディングの翌日にそのまま帰らないで。「そのまま撮りに行きたいって」言われて、「いや、雪山用の装備してないんですけど」って言ったら、「今からユニクロにヒートテック買いに行ってくる」って。で、そのまま連行されました…

そうだったんですね(笑)高橋さんがその雪のイメージを決めていたんですか。

高橋:いや、一緒に技術的な部分を手伝ってくれる人が「雪がいい」って。「白のイメージだ」って言ったんで。

鎌野さんも服とか白いですもんね。

高橋:その人がそう言ってくれて、そう言ってくれた方がやりやすかったんです…で、その翌日に連行です。信じられないスケジュールです。まぁ、楽しい思い出です。

the cabsとösterreichの世界観と、「音楽という亡霊」

そもそもどうして“österreich”という名義をつけられたのですか。

高橋:cabsをやっている時はガチガチのバンド音楽だったんですが、少しそういうものから離れたところ、そもそもそういう(バンドの音楽と離れた)音楽を聴いていたので。ちょっとやってみたいと個人的に思ったものを制作する時に、残響の方から「コンピレーションアルバムを作るんだけど、それに入れてみないか」(『残響record Compilation vol.3 -brightest hope-』、4曲目の『P.S. I love you momo』で参加)と提案されたんです。その時にösterreichという名前に決めたんだと思います。どうしてその名前にしたのかは覚えてないですけど。

―the cabsの曲でも『anschluss』(アンシュルス:オーストリア併合の意。österreichはドイツ語でオーストリアを意味する。)であったり、ヨーロッパの世界観を感じる部分も多くあるのですが。

高橋:特に1900年代初頭から中期にかけての世界史が好きで。個人的に本を読んだり、そういうのを見たり。十中八九そういうところからきてると思います。当時は歴史がものすごく動いた時代であったし、すごく人が現代よりもせわしなく、変化していった時代だなと思うし。やっぱりちょっと帝国主義的な時代というのも相まって、人ひとりの扱われ方が薄い儚い時代だなという印象があります。

なるほど。歌詞において「神」という言葉も多く出てきます。高橋さんの「神」に対するイメージはありますか。

高橋:自分がよくできた人間ではないという前提で、かろうじてすがったり、誰かのせいにすることができる対象は「神」しかいないよな、っていう。存在するかどうかも分からない…いないと思うんですけど、共通意識としてみんなの中にあるので。表現としても生き方としても、頼っていい部分というか、文句も言いたいし…(歌詞の)バックグラウンドにはそういう部分があると思いますね。

以前、他のインタビュー記事において「歌詞の最初の一文が大事」という言葉を見たのですが。

高橋:あぁ、その当時はそう思ってたのかもしれないですけど、今は全然そんなこと気にしてないですね(笑)あんまり歌詞を考えないで書くようにしているので。たぶんそれっぽいことを言うのがかっこいいと思って適当なことを言ったんでしょう。そういう人間なんで(笑)

以前からブログを拝読させて頂いているんですが、ブログの中に楽曲の歌詞が書かれていたりしますよね。他のアーティストさんには期限に追われて歌詞を書く方もいらっしゃいますが、高橋さんの歌詞の書き方はどうでしょうか。

高橋:cabsの時も今のösterreichも、歌詞の書き方は変わっていなくて、考えないでパパパッと書くようにしてます。それもたぶん、元々(ブログなどに)ある言葉だったり、もともとあるものを拾ってくるという作業なので。一から新しいものを作り出そうという作業ではないからこそパパパッと書けてるのかなぁという気はします。深く考えてないので、「これを言いたい」とか「こう感じて欲しい」というものもないです。

高橋さんが考えずに歌詞を書いていらっしゃるのとは裏腹に、よく「文学的」という評価や解釈がされています。

高橋:そこ(歌詞)のネタばらしというのはしない方がいいと思っていて。それは僕がやることではないと思っています。本当にそう思って歌詞を書いたのかもしれないし、いや何も思ってないかもしれないよ、ってスタンスでいようかなと。「本当はどうなのかな」くらいが丁度いいかもしれない。みなさん、あとは好きに考えて頂ければ。

話は少し戻ってしまうんですが、『無能』はタイアップやPVなど、österreichとしての本格的な活動としては最初の作品ということになったと思うのですが。振り返ってみていかがでしたか。

高橋:想像してなかったし、現実味は無いし「本当にこれ、出すんですか。」みたいな。分からなかったんですよね、とにかくアニメに使われるということがどういうことか。「東京喰種」という作品の規模感とか。日本に音楽をやっている人間が何万人もいるというのに「俺か」という(笑)そんなに知名度も無いのに、今更引っ張り出してくるような人間ではないのだけれど、というような印象はありましたね。時間も無いから、PV作るのも難しいなと思ってたんですけど、「作って欲しい」ということで。「カップリングも入れて欲しい」という希望は既に作ってある曲があったので良かったんですが、初めて「こうして欲しい」と言われて作ったので分からないことだらけで全然現実味が無かったですね。the cabsの時は自分のやりたいことを通してましたけど。

確かにthe cabs時代を通じてタイアップは初めてですもんね。

高橋:僕は石田スイという個人に動かされて、その人がいたから作ったという意識がありました。「これがアニメで流れる」とかいうのじゃなくて、こういう機会をもらって、ただ一つ良い音楽を頑張って作りたいなと思っていました。だから後で規模感に気付きました。「東京喰種」ってすごいなぁ、って。

だいぶ規模の大きい人気作品ですからね。

高橋:あとは、「あぁ、アニメの曲ってこうじゃなきゃダメなんだ」と気付いた部分もありましたね。「平均的アニメの曲」と言うか、例えばもっとキャッチ―じゃなきゃいけないとか。まぁ僕は『無能』って曲はすごくキャッチ―だと思うんですけど。

どのように「平均的アニメの曲」と違うと感じましたか。

高橋:まず、拍子をあんまり変え過ぎると分かりづらくなってしまうというところですかね。

あぁ、なるほど。って、変拍子は『無能』の魅力じゃないですか(笑)

高橋:だから今また「(アニメタイアップを)作って下さい」と言われたら、ちょっと違うものが出来上がると思いますね。僕は『無能』って曲はとてもいびつな曲だと思っているんで、終わった後で気付いたことは多かったですね。だからあるんでしょうね、“それっぽい”アニソンというのは。アニソンに限らずですけど、音楽すべてに“それっぽい”というものはあるし、“それ”が求められることがあるんだと。

反響を肌で感じることはありましたか。

高橋:制作が終わった後、残響の方にも「ちょっと休ませて、そっとしておいて下さい」って言って、あまり外の反応には耳を傾けずにいたんであまり…。ただ、テレビで流れたってことは賛否両論あるんじゃないかなと思っていて。みんながみんないいって思う曲を作ろうとしたわけではなかったですし、むしろ賛否両論あって良いと思うし、「こういうの嫌」って言われてたとしても「うん、それでいい。」って思ってます。

急いで駆け抜けたような制作期間だったわけですしね。

高橋:やってる時も「とりあえずこの一本はやって、その後のことはその後考えよう」と思っていたし、いわゆる商業ベースの定期的な楽曲制作のリズムというものに乗って僕がやっていけるかと言われたら、ちょっと分からないと言うしかなかったので。それほど『無能』のプロジェクトは大きなものでしたね。1年経って思うのは、いい経験だったということですね。人に恵まれました。

確かに、SoundCloudなどを使ったプライベートな創作とはだいぶリズムが違いますよね。ライブをしながら約1年に1枚ペースでアルバムを出していたthe cabs時代は、割と定期的な制作リズムだったんでしょうか。

高橋:そうですね。the cabsの時は「来年のあれくらいに出せたらいいよね」と青写真を描いてたなんとなくのプランがある中で、それに向けて頑張っていきますかという空気があったと思います。その場その場で何かが決まっていくことはなかったですし。

―遠くにぼやけている目標が時間とともに鮮明に、具体的になっていく感じだったんですね。

プライベートでの楽曲制作ではSoundCloudにあがっているものを聴かせて頂くと、ボーカロイドや打ち込みを駆使して、ポエトリーリーディングをしてみたりと自由度の高い制作をされていますよね。

高橋:まぁ、何も決まってないですからね。SoundCloudを使っているのも、誰かに聴かせたいとかじゃなくて完成したものを入れておく保管庫のような位置づけなので。今でも。自分がそのまま持っていたとしてもデータがどこにいったか分かりにくくなるので、とりあえず置いている感じです。何をやるかも別にその時その時で、「こういうのができた」という感じで、やっぱり「こういうのを作ろう」という感じで作ったことが一度も無いです。

詞にしても曲にしても、高橋さんは「自然と出る」という感覚なんですね。

高橋:まぎれもなく「これは自分が作った曲だ」という意識はあるんですけど、「どうしてできたか」が分からないんですよね。どのくらい時間をかけたかも覚えてないし。気が付いたらできてて。間違いなく自分の身から出たものであることは確かなんですけど、それがいったい何者であるかに関しては自分から一切分からないというのがあります。

音楽に対しての拒絶感みたいなものも無かったんですか。

高橋:いや、滅茶苦茶ありましたよ(笑)全然音楽聴かなくなったこととか。あんなに音楽聴いて、あんなに音楽のことばっか考えていたのに、(the cabs解散で)全部まっさらになって。まぁその時は、「やっぱり音楽無くても生きていけるな」って、“NO MUSIC.NO LIFE.”はやっぱり嘘だなって(笑)

音楽全然聴かない人だっていますもんね(笑)

高橋:そう、音楽は贅沢品だから。ただ、自分が何かするってなった時に、音楽以外にできることが無かった。それしか無かった。他に何かできればそっちにいったかもしれないですけど。やっぱり「好きだな」とは思うんですよ、音楽を。根本的な部分で。それ(好き)と同じくらいの気持ちで自分にできることも音楽しかないな、って。

拠り所にできるくらいの強みがあるのはすごいことだと思います。無い人がほとんどだと思います。

高橋:みんなそんなもんだと思います。普通はふわっとしてるものだし、そっちの方が何かに縛られないで生きていけると思います。僕は音楽という亡霊に抗えずにいる部分があるので、うらやましく思えたりします。

それでは高橋さんには、「自分には音楽しかない」という気持ちと「音楽という亡霊に操られる」という意識の両方があるんですか。

高橋:亡霊の方が強いかな…熱い気持ちで「音楽しかないんです」とは言えないというか。そのうちものすごいやる気が満ち溢れることもあるかもしれないけど。今は背中に乗ったもわっとしたものと戦っている気がしています。結局、音楽へ戻ってきてしまったなという気もします。自分から戻ってきた部分と、スイさんの一声があったのもあるし。

スイさんは良い亡霊だったのでは。

高橋:そうですね(笑)感謝しています。すごく良い人ですし。

曲制作とthe cabs時代について

『贅沢な骨』もそうですが、『無能』はハイスイノナサの皆さんが参加していますね。特にボーカルの鎌野愛さんは従来のイメージと違って、力強い歌声でいい意味で裏切られた印象があります。

高橋:一番最初に鎌野さんに頼むとなった時に、「ここではハイスイノナサのメンバーではありません」と、実際はもっと砕けた言い方ですがお伝えして。最初仮歌の時はとてもハイスイっぽく歌ってたんですよ。それは嫌で。「今までにしなかった自分の気持ちいい歌い方をして下さい」と話し合って、で、ああいう歌になりました。

『無能』という曲に鎌野さんご自身が向き合った結果なんですね。

高橋:その点に関しては鎌野さんがすごく真面目だし、熱心に考えてくれたおかげだと思います。参加してもらった他のメンバーもそうですが、一緒に仕事ができたのは光栄だと思います。やっぱり歌が好きなんだと伝わってきたし、プロだなと感じました。

元々、女性ボーカルのイメージがあったのでしょうか。

高橋:男とか女というこだわりじゃなくて、面識があって、経験もある人など諸々で考えたら結果的に鎌野さんになったという感じです。

『無能』は転調もあってか、曲のアニメで流れた1番の印象と、2番の印象がガラッと違うと言うようなリスナーの感想も見受けられました。

高橋:好きなように作ったらああなったと言うしかないですね。狙って作ったわけでもないんですけど、どうしてああなったんですかね。覚えてないんですけど、作曲の方法自体がバンドの時とは全く違う方法だったというのもあるかもしれないです。

打ち込みですよね。通して一気に作り上げた感じですか。それとも切り貼りをして徐々にという感じだったのでしょうか。

高橋:曲にもよりますけど、『無能』は徐々にですね。継ぎ足し継ぎ足しで、あんまり長い時間をかけてではないですけど。

バンド(the cabs)の時は違ったんですか。

高橋:全然違いますね。ギターで作るときはまず、破綻しないですね。もう2人いて話し合いながら作っていくから、個人的なところで曲として破綻することは無かったです。(ベースボーカルの首藤)義勝も歌ってるし、(ドラムの中村)一太も叩いているし、2人は掛け値なしに天才だと思っているので。2人の才能に引っ張られてできてた部分が大きいので全然違いますね。

首藤さんは高橋さんの持ってきたギターに感覚でベースの音と歌を乗せていったと聞いています。

高橋:そうですね。要は、ルート音という概念が義勝と僕の間では無く、「好きに(音を)当てていいよ」といつも言ってたので。「違和感無ければ」、「カッコ悪くなければ」それでいいとなっていました。

ギターの単音もものすごく多いのに「違和感無く」できるのはすごいですよね。

高橋:それはホントにアイツが天才的なまでに器用だったというのがあります。初めからその作り方だったので慣れていたというのもあるかもしれませんが。

ドラムの場合は変わりましたか。

高橋:一太も同じですね。まぁ、ベースに比べたらドラムの方が僕も口出してたと思います。まぁ、彼にも「好きにやっていいよ」と言ってたんで。彼は一番曲全体のことを考えてバランス取ろうとしてたんですけど、たがの外し方も分かっていたと思うし、その点で彼も本当にすごいドラマーだな、と。

聴いていて「何がどうなってんの」と思うところばかりです。御三方で合わせていくうちにできたという感じなんですかね。

高橋:僕もよく分かってないです。今でもそうなんですけど、僕は基本的に他の楽器のことをよく知らないんですね。ドラムの何が鳴っているかとか、仕組みが分かっていないというか。バスとか、フィルとか、それは分かるんですけど、その時何が鳴っているのかとか分かんなくて。だから打ち込みのドラムも適当なんですけど、『無能』の時も『贅沢な骨』の時も「こういう風なドラムです」、と渡したら「人間技じゃない」と言われてしまったりすることが多々ありました。前もよくドラムに口を出したりしてたんですけど、分かんないでやってたのは前と変わってないということですね。

それでは、レコーディングの際ドラムに費やす時間も多かったんじゃないですか。例えばドラムの側から提案があって「あ、それいいですね」とかなることも…

高橋:それはよくありましたね。とにかく知識が無いんですよね。

いやいや、感覚を突き詰めていったらそれでも曲が作れるんだなと驚きます。

そういえば以前、『無能』を出された時にcinema staffの久野さん(洋平、ドラム担当)が「ライドシンバルの使い方は前と一緒だね」という感じのコメントをTwitterでしていましたね。

高橋:ライドっていうか、あの「カンカン」がカッコよかったから使ったって感じですね。そしたらライドって言われて「あぁ、あれライドか」って。結局ちゃんと覚えてないんですよね。

ベースも打ち込みで高橋さんが持って行ったんですよね。

高橋:はい。まぁベースの方がドラムより演奏において無理というのが少ないんですが、ルート音という概念が無いので。終わった後にネットに『無能』のコードが載っていて、逆に「あぁ、こういうコードになってるんだ」と。全くコードで作っているわけではなかったので。だから、(他の楽器に詳しくなくて)聴いて分かんないわけだから、「これで合ってるのか」とか言われても、って感じで、レコーディングに参加した人に迷惑はかけたと思います。

―the cabsの時はギターのチューニングが曲ごとで変則だったじゃないですか。それは曲を作ってる時に変えていったのでしょうか。

高橋:いや、チューニングが色々載ってるサイトを見たりしてそれを一つ一つ弾いてみたり変えてみたりして、そして響きが良いなと思ったらそれを使うみたいな。サイトっていうかオープンチューニングなんですけど。そこから自分でアレンジしていきました。そもそも全部半音上がってますからねギターは。そこから変えていく感じですね。そうしないとライブ中チューニングが面倒だったんで。

これは全国のthe cabsファンが喜ぶ情報かもしれないですね。

高橋:4・5人くらい喜んでくれれば。

―(笑) 以前はギターを触ってたとのことですが、最近は触らないとブログでおっしゃってましたよね。

高橋:今回曲を作っている時も途中で「ギターの方が早くて今まで通りだし楽かな」と思うこともあったんですけど、なんか触れなくて。ギターなら今まで作ってきたっぽいものが作れたかもしれないんですけど、違う方法で作るのもある種勉強みたいなものだし。今はこの方法で飽きるまでやってみようかなと。まぁ、ギターを使いたくなったら使うだろうし、って感じです。

ファンの中では「ライブやるのかな」って声もあったりすると思うのですが。今は曲を作ってアップする活動ですもんね。

高橋:んー、完全にアマチュアなんで…勿論、いい曲を作りたいなって気持ちはあるんですが、確かなものがあって作ってるわけでもなく、ライブをするにしても(制作の手法上)「何すればいいんだろう。俺が弾ける楽器、一つも無いぞ」って感じなので。まぁ、やるかもしれないしやらないかもしれない、ってことで(笑)

なるほど(笑)

高橋:そもそも、現実味が無いというか。こうしてインタビューを受けていることも現実味が…僕の話聞きたい人いるのかな、って感じで。

いやいや、いますよ(笑)

『無能』でもそうなんですが、the cabsの作品でも歌詞カードの中に短編の物語がありますよね。これはどういうきっかけで、いつから入れるようになったんでしょうか。

高橋:一番最初は誰かに「やってみたら」と言われてやったことが定型化したのかな。『無能』の時は社長に言われてやった気もするし。でも、自分からやりますと言うようなタイプでもないんでそうだと思います。

最近、他のバンドとかは聴かれたりしていますか。

高橋:昔から関わりのあったバンドとか、残響のバンドとかは聴くようにしています。昔みたいに自分から掘り下げて、自分から探って探ってというようなことはしなくなりましたけど。「いいな」と思ったらそれなりには聴くようにしています。

過去に対バンをしていたバンドとかですね。

高橋:最近、色んなバンドとかで知ってる人が「あぁ、今そこ(のバンド)でやってるんだ」っていうのが多くて。indigo la Endのドラムの(佐藤)栄太郎くんとか。インディゴは結構知り合いがやったりしてるんですよ。(ベース、休日)課長とかもそうでしたし。あとは、砂川(一黄)くんとか。

―Czecho No Republicのギターの。砂川さんの前のバンドとは雰囲気違いますよね。

高橋:まぁ、彼は元々ハッピーな人だから(笑)合ってるんじゃないかな。当時一緒にやってた人たちがやってるのを見ると、胸が熱くなると言うか。滅茶苦茶嬉しい気持ちで見てますね。

高橋さんは嬉しいと一貫しておっしゃってますよね。

高橋:本当に。苦しい時を見ている人もいるし、それでも広い音楽業界で頑張ってやっているのは尊敬して見てられますね。割と一ファン目線で見てます。(元the cabsの首藤、中村が所属する)KEYTALKもplentyも同じように。僕はthe cabsとしてあんなにいいバンドでやれたことをすごく誇りに思ってますし、ただ、自分の都合で解散してしまったことは今でも後悔しているし、本当に申し訳ないなという気持ちがあります。でも、本当に楽しかったし良いバンドだなと。それは本人だからそう言えるのかもしれませんが。

若手のバンドでも変拍子の曲をやるようなバンドは「the cabsっぽい」と言われたりすることもあるようです。

高橋:ぼくらの時期はたまたまタイミングに恵まれた部分があって、あの時期にああいうことやってただけであって、たぶんそういう子たちが当時にいて同じことやってたとしたら、たぶんその子たちが評価されてたかもしれないし。あと、the cabsなんかに影響受けなくていいよと思うんだけど、別に君たちは君たちで良いものを作れるんだから。「亡霊だよ」って(笑)本当にタイミングですね。

「the cabsは亡霊だよ」ってことですね(笑)私は勿論the cabsは実力があったと思うんですが。

高橋:あとは人に恵まれましたよね。周りの人にも、メンバーにも、環境にも。だから今そうやって言ってもらえるんだと思うし。で、当時僕個人が「○○みたいだね」って言われるのすごく嫌いだったんで(笑)そういう風にあんまり(「the cabsみたい」と)言わないようにして欲しいなと思います。そういう評価をされる時期はあるのかもしれないですけど、the cabs自体もあったんで、そんなのは気にしないでやればいいよって思いますね。

その通りですね。最初の方に戻るんですけど「アニソンっぽい」とか、「○○っぽい」ってくくりをされてしまうのはあるものなのでしょうね。

高橋:特にメジャーは作ったもので評価されるべきだと思います。「○○っぽい」とか、「このバンド変だな」とか、「特別だな」とか思われるために音楽を作ってるわけじゃないです。できたものが、できたものです。僕はカッコいいもの作りたいだけですね。

それではそろそろ結びの文ということで、今後の意気込みなどあれば…

高橋:みんな元気で、生きていきましょう