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すでに何度もその役目を務め、この10回記念のラウドパークでも初日のトリの座が発表されたスレイヤー。だれもが納得する選出ではあるが、それではなぜ彼らはそこまでの地位にいるのだろうか。1981年のデビューからの軌跡を追ってみたい。

当初のメンバーはトム・アラヤ〈vo&b〉にケリー・キング〈g〉、ジェフ・ハンネマン〈g〉とデイヴ・ロンバード〈ds〉。はじめのうちはジューダス・プリーストやアイアン・メイデンのカバーをするよくあるバンドの一つにすぎなかったが1983年にメタル・ブレイズ・レコードのサポートでデビュー。

1986年の名盤「レイン・イン・ブラッド」は歌詞の内容が問題視され発売が危ぶまれたが、ビルボードで過去最高位を記録するなど成功をおさめる。

1992年にはスレイヤーの魅力であるスピード感の重要なピースだったデイヴ・ロンバードが脱退するが、後任にはフォビドゥンの実力者ポール・ボスタフを迎えて難局を乗り切る。

じつはデイヴ・ロンバードは数年前にも脱退騒ぎをおこしていたわけだが、奇しくも後任のポール・ボスタフも1996年に一度脱退し復帰するという騒ぎを起こすなど、スレイヤーはファンから見てもドラマーが安定しないという印象を持たれていた。

2006年にはデイヴ・ロンバードが復帰。オリジナルメンバーであらためて腰をすえての活動に向かっていたが、2011年に毒蜘蛛に噛まれたジェフ・ハンネマンが休養に入り、そのまま2013年に帰らぬ人となる。デイヴ・ロンバードも再度の脱退をし、ポール・ボスタフが再加入した。

メンバーチェンジの激しいバンドは数あれど、バンドの要であるドラマーの不安定さ、それも音楽性を大きく左右するメンバーに振り回されながらも走り続けたスレイヤーだからこそ、極東の地のフェスティヴァルのトリを着実に務めることができるのかもしれない。

破天荒なイメージもつきまとうバンドだが、アンチクライストな歌詞を叫び続けるトム・アラヤは敬虔なクリスチャンであることをインタビューで明かしている。スレイヤーは自らが演じるべき役割をわかっているプロフェッショナルなバンドである。